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ジョンと同じように、私もIWCとマークXIIを愛しているからこそ、このようなことを言えるのだ。

IWCがマークシリーズをアップデートするたびに、「うう、なぜ私の好きなマーク〇〇を復活させないんだ?」という趣旨のことがよく言われる。そこで、私の偏見を披露しておこうと思う。私は1990年代のマークXIIを長年所有しており毎日使うお気に入りのスーパーコピー 時計のひとつだが、36mm、しなやかでヴィンテージ感のあるビーズオブライスブレスレットを持ち、JLCのCal.889を搭載したクラス最高のモデルだ。マーク11と同じ先端がカットされた時針は、まさに最高。そして、その日付窓の配置を見てほしい。日付窓を付けるならIWCはここに付けるべきなのだ!

ええ、もちろん、マーク11には日付窓がなく、マークXII以来、日付窓が追加されたことはマーク11の純粋な部分をすべて冒涜しているといえることは理解している。その意見には共感もするし、もしIWCが日付窓を取り去りたいのであれば、私はそれを止めないだろう。しかしマークXIIは、彼らが日付窓を正しく配する方法を知っていることも示している。

またマークXIIのフォントは、とにかく見栄えがいいと思うのだ。確かにエイリアルによく似ていてつまらない。でもマークXIIがエイリアルを使っているとしたら、マークXXのフォントは私の好みからすると、ちょっとコミック・サンズに近づきすぎて、間抜けになりかけている(特に“4”が気になるのだが、ちょっと外に出る必要があるだけかもしれない)。

もしIWCがマークXII(あるいはXV、マークXV好きの人もいると思う!)のようなものを36~38mmで復活させたら
、そしてマークXIIのようにすべてのディテールを完璧に仕上げたら、それが大量に売れるかどうかはわからないが、私はそれが間違いなく“カルトヒット”としてすべてのブロガーたちが記述するのに十分な愛を得るだろうと確信している。ロレックスが昨年エクスプローラーを36mmに戻したが、私が言っているすべては先例があることだ。

IWC時計スーパーコピー パイロットウォッチ クロノグラフ プティ・プランス リミテッド IW377717

世界中の人々に今もなお愛され続けている物語『星の王子さま』(フランス語原題:Le Petit Prince)。伝説的な作家、詩人で、パイロットであり冒険家でもあった「アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ」にオマージュをささげ製作されたスペシャルエディション。 裏蓋には『星の王子さま』の主人公、別の星からやって来た「金髪の少年」をエングレービングしています。

聞いてほしい。IWCにはすでにビッグ・パイロット43や、パイロット・クロノグラフ(レイク・タホはマジでヤバい時計だ)などの時計があり、大型時計のニーズはすべて満たしているのだ。そこでマークシリーズを利用して、もう少し小さく、もう少し伝統的なものを作ってみてはどうだろう? オマージュではなく、オリジナルのマーク11から最も重要なDNAを受け継いだ、真の意味でモダンなマークシリーズを。

2015年、ジョン・メイヤーはIWC への公開状を書き、それはマーク シリーズについての私の気持ちの一部を、私が思っていた以上に明確に表現してくれた。「2000年代初頭のIWCが実用性を重視する人々のために設計されたとすれば、新会社はほかの高級品市場の成功に基づき、そこにいるに違いないと考えた人々のために設計されたものだった。どのような視覚的アルゴリズムでもてあそんでいたとしても、それは私が共感できない万能工具を使用しているのだ」

これは新しいマークシリーズの時計について私が感じていることとまったく同じだ。世の中の人々のために作られたと思われるひと握りの妥協が、いい時計(それもいい時計だ!)を素晴らしい時計になることを妨げている。1990年代から2000年代初頭にかけて、IWCはほかのメーカーと同じように感じていた。つまりアンチロレックス、アンチラグジュアリー、てそしドイツとスイスが融合した精密な時計製造だ。しかし途中からマークシリーズは、あらゆる人にあらゆるものを提供する、まったくの中途半端な時計であることを目指し始めた。だが、それでは誰かにとっての特別な存在になることはないだろう。

ジョンと同じように、私もIWCとマークXIIを愛しているからこそ、このようなことを言えるのだ。マークXIIとマークXXを並べてみると、両者の共通点を見出すことができ、とてもクールな印象を受けた。IWCといえば、パイロットウォッチを思い浮かべる人も多いだろう。初期の時計ライター、ウォルト・オデッツは、IWCのマークXIIを“パイロットでない人が最も好むパイロットウォッチ”と呼んだことがある。マークXXを気に入るかどうかは、パイロットウォッチを製造してきたIWCの歴史とのつながりを感じるか、あるいはそのオリジナルのDNAをあまりにも多く失いつつあると感じるかによって、多少なりとも変わってくるのではないだろうか。